如月トキヤの、世界に報いるニートの叫び

世界に報いるニートの叫び

失うものを持たない僕の遠吠えを聞け

【バラク・オバマとは何だったのか?】 新聞比較にみる世界とアメリカの今、そして日本の未来

 

トランプ大統領誕生を目前に改めて考える、オバマ大統領の功罪。

退任演説を受けた主要4紙の比較で見えてきた、8年にわたる政権への評価…

そして、日本が抱くアメリカ観、その裏に潜む「理想の日本」像とは何か?

 

 

序文:ページ閲覧時間の衝撃と社会記事

トキヤです。

先日、アクセス数のチェックをしていたら、ちょっとびっくりすることがあった。

 

まあ、アクセス解析とか正直よくわからないからただ色々弄り回してただけなんだけど。

それで、ページごとの平均閲覧時間という項目を見つけた。

どうやらそれを見るに、どの記事もかなり長く読んでもらっているようなのだ。

自分がネットで一つのページを見るのにかける時間を考えると、結構驚きだった。

(まあ僕の記事はどれもかなり長いってのも大きいんだろう。)

 

特に驚いたのが、この記事の閲覧時間。

 

誰かに読んでもらいたいというよりも、とにかく書きたいことを書いた記事なのだが、意外に読まれている。

いや、ただ読まれていると言ったら語弊がある。

閲覧数は少ないけれど、かなり時間をかけて読まれている。

 

このブログを始めた一つの動機は、特に誰に発信するわけでもなく溜め込んでいるものを発散したいということだった。

そういう意味で、自分なりに一生懸命考えたものを時間をかけて読んでくれた方がほんのちょっぴりでもいるというのは、嬉しく思えたし少し衝撃的でもあった。

 

そこで、本当はもう少しブログに慣れてからにしようと考えていた、社会的なテーマの記事を少しづつ書いてみることにした。

今回のテーマは、新聞比較から考えるオバマ大統領の評価と、日本とアメリカのいま。

 

なぜ新聞を読み比べるのか

端的に言えば、それは物事をより多面的に理解したいからだ。

 

意志のメディア、新聞

新聞各紙に論調の違いがあることを知らない人は少ないだろう。

新聞は、ラジオやテレビといった放送と異なり、独自の主張を持った報道機関だ。

放送は、公共の電波を用いる以上は中立的である必要がある(ここは解釈が分かれる部分なので慎重に書く)のに対し、新聞はそうではない。

各紙が社論を展開する記事、「社説」の存在は、新聞と放送の違いを端的に表しているといえる。新聞は自由な言論を行う言論機関なのだ。

主義主張を隠さない新聞は、「明確な意志を持った報道メディア」といえるかもしれない。(もちろん他のメディアに意志がないと言いたいわけではない。)

 

「客観」という暗闇

各新聞社は独自の意思を持つ。だとすれば、紙面作りにはその意思が反映され、各紙の報道も異なったものになってくることは必然だ。

それは社説だけに限った話ではなく、記事の書き方であったり、その分量や配置、あらゆる価値判断に社論は介在してくる。

多くのメディアは「客観的」であることを美徳とする。

だが、そのメディアもあくまで「媒体」であり、独自の価値基準で情報の取捨選択を行っているに過ぎない。だから、そこに何者の主観も差し挟まないことは不可能だ。

その意味で、メディアにとっての「客観性」とは決して辿り着くことのできない目標地点といえる。

そもそも、自分が「客観的」だと考えた時点でそれは主観に止まることになる。

 

例えるならば「客観性」とは、真っ暗な部屋の中心部だ。

大体の位置を予測して近づくことこそ可能でも、決して辿り着くことのできない場所、それが「客観性」だ。

 

各人に委ねられる、終わりなき「客観化」と「相対化」

それでは僕たち、情報の受け手はどうか。

僕たちは一次情報に当たる機会はめったにないし、情報を得たければメディアに頼らざるを得ない。

だが、一つの情報源に当たったとしても、それは誰かの視点に触れただけにすぎない。

ある意見に共感するか、反発するか、その二択だけで物事を考えることは、世界の「こちら側」「あちら側」を分ける線を引っ張っているだけだ。

 

もちろん無視することだってできる。

居心地の良い「こちら側」で聞き心地の良い声だけを聴いていることもできる。今はそういう時代だ。

暗闇の中で一つの光源にしがみついていれば、自分の周りだけは明るく照らされて、さぞや安心だろう。

 

でも、「客観性」を意識しようともしない人間の意見には、それなりの力しか与えられない。

「暗闇の中心」を考えることは、自分の思想をその中で正しく位置付けようとすることでもある。

自分の思想を相対化することを放棄した者には、意見を異にする他者を説得することなどできないし、せいぜい同じ考えの者に囲まれて強くなった気になるのが関の山だ。

(そして結局、合意の作り方を知らない人間はその集団内で対立を始める)

 

真っ暗な部屋の中に、主観の灯りを1つ、2つ、3つと増やしていってこそ、より正確に中心部を探すことができるし、自分の位置を自覚することも可能になる。

そうして初めて、意見にも説得力が生まれてくる。

 

その意味で、複数の新聞を読むことは「暗闇」に「光源」を増やしていくことであり、客観性と相対性を得るための一つのアプローチだ。

 

オバマ評価を通じ、今の世界をみる

ここまで偉そうなことを言ってきたが、恥ずかしながら僕は、毎日欠かさず複数紙を読んでいるわけではない。

正直なところ、1ヶ月間のニュースのまとめに加え、巻末に各紙の社説比較が掲載されている『新聞ダイジェスト』に頼ってしまうことも少なくない。

それでも、自分のなかでうまく解釈できなかったり、より詳しく知りたいと思った情報については、積極的に複数紙の報道をチェックするようにしている。

 

今回僕が気になったのは、オバマ大統領への評価について。

外交的にも経済的にも、世界秩序の中心であるアメリカの事情は、日本との近しい関係性も相まって、この国でも頻繁に報じられる。

特に、首脳の動向は大きなニュースとなりやすいが、8年という長い任期を総体として捉えたとき、オバマは大統領としてどう評価されるのか、興味があった。

いま正に起きつつある米国の変化を前に、それらの報道を分析することは、日本から見たアメリカ像について考えを深める手がかりになるだろう。

それは、いま日本がどこへ向かっているのか、どこを目指すべきなのか、を考える手がかりでもある。

 

それだけではない。

思えば、ここ十数年(あるいはもっと)にわたって常に、世界はターニングポイントにあると叫ばれ続けてきた。

8年間のオバマ政権について今一度考えることは、近頃この世界に起きている急速な変化について再確認することでもあると言っていいだろう。

 

当記事が、これを読む方の暗闇を照らす、豆電球くらいにはなれれば幸いだ。

 

各新聞のオバマ評を分析する

この記事では、複数の新聞記事を読み比べることで、日本におけるオバマ大統領の評価に迫っていきたい。

今回、対象とする新聞は、読売、朝日、毎日、日経の大手全国紙4紙

これらを読み比べれば、いま日本に存在する議論についてある程度、バランスのとれた理解に至ることができると考える。

 

対象とする記事は2017年1月12日朝刊に掲載された、オバマ大統領への評価を含むもの。

日本時間で1月11日、地元シカゴでオバマが行った任期最後の演説を受けるかたちで、各紙何らかの形でオバマ政権を振り返る記事を出していた。

これを扱うことにする。

 

そして、考察の流れ

① 記事を選ぶ。
比較の対象とする記事を選び、見出しを記す。関連する記事が複数ある場合は、その記事数を記載したうえで、主要なもの一つに絞り考察する。

② 各記事で最も重要と思われる1文、あるいは複数文を引用する。
引用の基準は、主観性や価値判断が色濃く表れており、端的にその記事の主張を表現する文章であること。1文で不十分と考える場合には複数文を引用する。

③ 記事の要旨をまとめる。
その記事の言わんとするところをまとめていく。記事の長さも色々なので、まとめにもバラつきがでるかもしれない。

④ 僕なりの考察
記事から受けた印象や、他紙の論調との比較を書く。また、記事の中に各新聞社の個性や特色のようなものが見られれば記述していく。

 

読売新聞・社説

①見出し:「理念と行動力の均衡を欠いた」2017年1月12日朝刊・社説

②引用:

黒人初の米大統領として国民をまとめ、国際協調を目指す。高邁な思想と清廉さは秀でていたが、米社会の分断と世界秩序の動揺を招いた責任は免れまい。

③要約:

オバマ氏は、米国内経済と外交安全保障の両分野において一定の功績を残したが、その過失も大きい。

経済分野について、景気回復への基盤づくりは評価できるものの、格差拡大を放置したことは問題。具体的には、中間層の所得改善に失敗した経済政策、そして、国論を分裂させた医療保険改革。これらに対する有権者の不満が、既存政治への反発としてのトランプ支持へと繋がった。

そして、外交・安全保障については、その協調主義に基づいた対話外交は評価できるが、国際秩序における米国の指導力を低下させた。評価する点は、具体的には、イラン核開発をめぐる多国間交渉、地球温暖化対策の「パリ協定」、キューバとの国交回復、そして、アジア重視のリバランス政策に基づく、日米同盟強化やTPP推進、日韓関係の橋渡し、さらに、現職米大統領として初となる広島訪問。

外交での問題は、米国主導の世界秩序の維持に消極的な姿勢をとったこと。「米国は世界の警察官ではない」という発言が、ロシアのクリミア併合や中国の海洋進出など「力による現状変更」を招き、イラク駐留米軍の撤退は「力の真空」を生み「IS」の台頭に繋がったほか、北朝鮮による核・ミサイル開発進行を抑止できなかった。

この米国の指導力回復は、トランプ次期政権の課題となる。

 

④考察:

オバマの大統領としての功績と過ちを評価するシンプルな記事。その論調は、理念を具現化する「行動力」に欠けた、として批判的だ。

論旨が明快な分だけ、文章は他紙と比べてコンパクトでありながら、外交、経済両分野におけるオバマの功績や失敗、次期政権の課題など具体的情報が多く詰め込まれた、密度の高い社説になっている。

比較対象とした4紙の中では、最も記事の分量が少なかったことも合わさって、読売はどこかクールな印象を受けた。

 

そして、評価では、経済、外交分野において各政策が招いたと考えられる現時点での結果をもとに価値判断が行われている。

その結果論的な価値判断や、日本の国益に照らしたアメリカ像には、「現実主義」を重視する読売らしさが如実に表れている印象を受ける。

また、イラク駐留米軍撤退に関して登場した「力の真空」というフレーズも、国際政治学におけるリアリズム(現実主義)的理論に基づく概念であることにも注目したい。

 

朝日新聞・「記者有論」

①見出し:「多様性と国際主義の試練」2017年1月12日朝刊・「記者有論」(関連記事他4つ)

②引用:

大きな枠でとらえると、内政でも外交でも、オバマ政権の歩みは、こうした70年の軌跡のなかにある。しかし、だからこそ、その戦後路線の限界にぶつかった政権でもあった。(略)

オバマが苦闘した壁に次の世代が強く立ち向かい、そこをくりぬいていくしかないのである。

③要約:

オバマ政権は、米国内外における戦後路線の中で誕生するもその反動に苦しんだが、その苦闘は次世代に受け継ぐ価値のあるものだ。

第二次大戦後、米国が歩んできた方向性として、「国内において人種や価値の多様性を認めさせてきた苦闘の道のり」、そして「外交における国際主義」がある。

黒人差別撤廃に向けた公民権運動、そしてのちの「サラダボウル」社会の到来という流れの中で誕生した、初の黒人大統領。

また、大戦後、建国以来の孤立主義を捨て、国際政治経済体制を作ることで、その中での国益を求めてきた米国は、オバマ政権のもとでさらなる国際協調主義を展開した。

だが、疲弊したアメリカ社会には分断が進み、国民も政治家も国際秩序を支える重い責任に耐えられなくなった。

確かにオバマは理想を形にすることができなかったが、その路線は維持されるべきだ。

 

④考察:

朝日の記事は、オバマ政権を第二次大戦後の米国の歩みという歴史的文脈のなかに位置付けようと試みるちょっと面白い記事。

朝日は社説こそないものの、退任演説の要旨を含めて5つの記事を掲載しており、この「記者有論」は編集委員の方が書いたもの。この欄にはどこか一ひねりした記事が載る。

 

文中では、オバマは米国が歩んできた戦後路線の限界に直面したとしているが、その政策の方向性に対する評価はおおむね好意的と言える。

そして、結びの文での表現には、実に朝日的な感覚を読み取ることができる。

オバマは壁に直面したが、次世代がその壁を「くりぬいていく」というワードチョイスには、寛容や多様性といった価値を訴えたオバマの理念への強い肯定感が現れている。

これらを考慮すると、朝日の論調は、オバマ政権に批判的であった読売とは対照的な印象を抱かせる。

実際、「多様性」や「国際主義」といった「理想主義」的な価値観は、朝日が大事にしている部分だ。

オバマは退任演説でこうした理想主義的な要素を多く口にしたことから、それを受けた記事が「天声人語」を含め5つもあったことにも注目したい。

 

毎日新聞・社説

①見出し:「オバマ政権8年 『チェンジ』の決算 理念の実現に苦しんだ」2017年1月12日朝刊・社説

②引用:

「理念の人」は理想と現実の落差や実行力不足に苦しみ、打開に向けて悩み続けた。

(略)オバマ氏は、冷静で理知的な大統領だった半面、自分のスタイルを崩さず難しい問題は遠ざける傾向が目立った。(略)大統領として局面を打開する力を欠いたことは否めない。(略)世界のために身をていする覚悟を見せてほしかった。

③要約:

「理念」や「謙虚さ」を持っていたが、難局を打開する力と覚悟に欠ける大統領だった。

「チェンジ」を訴えて就任し、ノーベル賞を受賞した「核兵器のない世界」、「イスラムとの和解」を提唱したオバマは、「理念の人」だった。

また、ブッシュ前政権のような、米国の力で世界を変えようとするネオコン(新保守主義派)思想の影響を受けず、新たな紛争への介入も避けたオバマは、「謙虚」な大統領だった。

そして、イラク撤兵、キューバとの国交回復、イラン核問題での合意に加え、5月の広島訪問といった外交成果もある。

だが一方で、シリアへの対応を巡る消極的な姿勢や、中国やロシアの増長を招くなど実行力の低さが目立った。米国の国際的な役割を軽く見てしまったことや、失敗を厭わず世界のために尽力する覚悟を見せられなかったことは残念だ。

 

④考察:

毎日の社説は主に、外交面からのオバマ評価を試みる。

見出しの語感は読売の社説と近い印象を受けるが、その論調には明確な違いがある。それは、記事が意図するところの違いだろう。

この社説は、オバマ政権の良し悪しという価値判断ではなく、あくまで中立的な振り返りに主眼が置かれていると感じられる。

事実、この記事は社説ではあるものの、朝日・読売ほど明確な主張は読み取れない。前半部分は肯定的な評価、後半部は否定的な評価となっているが、後半部も、「批判」というよりも、「反省」や「嘆き」といった表現が適切だろう。

 

あるいは、断定的な主張を行うほどには明確な評価ができていないのかもしれない。

そう思わせるほどに、この社説には「迷い」があった。

まず、記事中には、「理念の人ではあった。」、「確かに米国は変わった。」という、二つの譲歩が登場する。これら二つの譲歩を経た回りくどいかたちで、強い逆説表現を使うことなく文章は後半部のやや否定的な評価へと繋がっていく。

そして、第一文にある、「バラク・オバマ大統領は米国史においてどう位置づけられるか。世界に何を残したのか――。」という問題提起。これに対しては、「この問いに答えるのは容易ではない」として、最後まで答えが与えられない。

これら記事中の「迷い」を考慮すると、毎日はオバマに対して明確な評価をするに至っておらず、その曖昧な主観性ゆえに中立的であるように感じさせるのかもしれない。

 

論旨に一貫性こそないものの、これまでのオバマの功績と失敗に退任演説での様子を絡めた形で多くの情報が詰め込まれているので、どこか歴史の教科書を読んでいるような感覚を抱かせる。

社説欄を一つの記事で占めたその分量と気概は、読売を上回っており、思想的な中立性も朝日・読売より高いと感じる。だが、オバマ政権を振り返るという観点では、経済分野への言及があってもよかったのではないか。

 

紙面にまとまりがなく、記事の質も玉石混交な印象である「カオスさ」や、多面的な情報を提供したうえで価値判断を読者に委ねる「フォーラム性」など、毎日らしさを感じさせる社説だった。

さらに、今回は割愛したが、社説中に比喩的な表現が多いのも毎日の特徴な気がする。気がするだけかもしれない。

 

 

日本経済新聞・国際

①見出し:「オバマ大統領 最後の演説 8年振り返り Yes, we did」、「失望招いた未完の理想」、「家族に感謝 涙ぬぐう」2017年1月12日朝刊・国際(関連記事他1つ)

(日経の記事は、オバマ氏最後の演説の様子に絡めて、その功罪を振り返る国際面の記事。厳密には、3つのパートに分けられるが、記事は隣接しておりここでは一つのものとして扱う。)

 

②引用:

オバマ氏の多国間による対話を柱とした国際協調主義には、その民主主義と多様性が貫かれている。一方で、理想だけではどうにもならない課題も残った。(略)

未完に終わった理想を退任後も説き続ける責任がオバマ氏にはある。

③要約:

オバマ氏の理念は評価できるが、それを実行できなかったことは失望を生んだ。

アフガニスタン、イラクと二つの戦争終結、キューバとの国交回復、イラン核合意は、オバマの理想主義的姿勢による外交成果だが、国際秩序に挑戦する中国、ロシア、北朝鮮への対応には問題があった。

また、金融危機後の米経済を立て直したことは評価できるが、税制改革や移民制度改革といった国内の問題に関しても、与野党の合意を形成することができなった。

それに加え、国民レベルでも貧富の差や人種間の亀裂を解消できなかった。

これらに対する失望感は、統計にも表れており、国民のトランプ支持を招いた。

オバマには、大統領退任後も、実現できなかったその理想主義を訴えていく義務がある。

 

④考察:

日経は、オバマの功績には一定の評価を与える一方で、その実行力の低さや、期待の裏返しとしての失望感を指摘する記事

記事の書き方としては、3つのパートが連結しており、(おそらく国際部の記者が別個に担当したために)紙面のまとまりがやや弱く感じられる。

というのも、そのうちの2つのパートは、テーマには違いがあるものの、内容的に被る部分が多い割に、一貫性に欠ける部分があったからだ。

また、社会面には、「オバマ氏お別れ演説 国内の声」という、日本国内の意見を絡めながら核廃絶の問題を扱う記事があるが、その内容も、この記事と大筋では同じだったが、日本国内の声を取材した記事にはオリジナリティーがあったといえる。

 

論調としては、「失望招いた未完の理想」というサブ見出しが象徴するように、どちらかといえば否定的な評価と言えるだろう。

論調としては、読売のものと近い印象を受ける。とはいっても、理念への前のめりを非難するような読売と比べれば、まだ「肯定に傾いた否定」という要素が強い。

また、自身の理念を訴え続ける退任後の責任に言及していることも、オバマの価値観に対する肯定的な評価を裏付けている。

 

日経の注目すべき点としては、オバマ政権に関係する出来事を載せた年表や、統計データ、引用を用いており、他の新聞社と比較して、より論理性を意識した紙面作りを行っている印象を受ける。

もちろん、報道におけるデータや引用、インタビュー等から、恣意性を完全に排除することはできない。

だから、一面的に筋が通っている記事と、客観的な記事の間には明確な違いがあるし、そもそも完全な客観性などというものはありえない、ということには留意しておく必要がある。

とはいっても、「あくまで客観性を目指す」という姿勢はジャーナリズムの目指すべき形だろう。その点からいえば、日経は他紙と比較しても、より理性的な印象を受けた。

統計調査をもとに「失望を招いた」とする記事と世論調査を受けて「支持率は高い」する記事が共存していて一貫性がないように見えるが、実はこれもオバマ評価の難しさをありのままに伝えようとした結果なのかもしれない。(なおこの二つの調査は同じ調査機関によるもの)

 

考察:オバマとは何だったのか? 報道から見えるものは?

この項では、ここまでの各紙の比較を受けた僕なりの考察について書く。 

その際、各紙の論に共通するものと、しないものを抽出し、そこから導き出されるものについて考えていきたい。

 

オバマ評の共通認識ー際立つトランプとの対称性

今回、4紙の報道を比較することで、オバマに対する評価の共通認識のようなものが見えてきた。

各紙の論調で重なる要素を抽出することで導き出される、最小公倍数的なオバマ評は以下のようになる。

 

理念先行型のリーダーで多くの功績を残したが、理想の実現には至らず志半ばで任期を終えた。

「理念」はオバマを語るうえで欠かせない言葉だろう。その国際協調的な外交姿勢は全ての新聞から一定の評価を受けた。

そして、オバマの功績をある程度認めながらも、その最終的な成果は不十分だとみる点も共通認識といえる。

 

この判断を左右した要素として考慮しなければならないのが、トランプ氏の存在だ。

「理念」ではなく、「実利」や「損得」を主張するトランプ氏の存在はオバマとは対照的だ。この対称性が、「理念の人」たるオバマ像を際立たせたと考えられる。

そして、米国民が同じく「チェンジ」を求めながらも、全く異なった方向性の指導者を選出したことは、オバマ政権、あるいは政権下の環境に対するバックラッシュだとする分析は多くの記事に共通する。

このトランプへの反動を招いてしまったことがその評価を下げた大きな要素として考えられる。

そしてそこからは、各紙が抱くトランプ氏への否定的な観方を読み取ることもできる。

 

オバマ評の相違点ー日本が抱く3重のアメリカ像

この記事で比較を始める前に書いたように、完全な客観性など存在しない。

メディアには必ずどこかに主観性が付きまとう。国際報道の場合、無視できないのが「国」および「国益」の存在だ。

メディアは身を置く国に縛られるし、各自の「国益」観に基づいて社論を構築することになる。どれだけ客観性を志向しようと、この「国籍の呪縛」から逃れることはできない。

 

だから、オバマへの評価にも、日本が抱くアメリカ観が色濃く反映されることになる

そこで、オバマの失敗をどこに求めるかがポイントになる。

オバマの失敗や反省点、「こうするべきだった」という論のなかには、その裏返しとして、日本が期待するアメリカの国家像が現れてくるはずだ。

 

そこで以下に、「オバマの失敗をどこに求めるか」という要素を抽出し、それが意味する、アメリカ像および国益観を3つに類型化した。

 

① 内政における実行力不足(読売、日経)
→国内政治を安定的に運営する、政治的・経済的パートナー

オバマがその理想を実現できなかった原因を、実行力の低さに求める論は、読売と日経に見られた。

具体的な問題点としては、与野党の合意や国内の格差是正を達成できなかったことが挙げられている。

ここには、外交的・経済的に緊密な関係をもつ国に対し、その国内リスクが軽減されることを期待する思想が表れている。

日米は非常に緊密な関係であることを考えれば、安定的な国家運営を期待するのは当然といえる。

ちなみに毎日は、共和党が多数派を握る米国議会のねじれについては同情的な様子を見せていた。

 

② アメリカが担う安全保障的責任への軽視(読売、毎日)
→強いリーダーシップで世界秩序を主導する、安全保障パートナー

オバマはアメリカの国際的役割を軽視し、その責任を十分に果たすことができなかったという論は、読売、毎日に見られた。①に近いが、こちらはアメリカに対してより軍事的な役割を求める観方。

具体的には、中国、ロシア、北朝鮮による既存秩序への挑戦や、シリアを巡る問題への対策の甘さが米国の求心力を低下させたと指摘するもの。

ここには、現在に至るまで日本が利益を享受してきた戦後の国際秩序を形成し、主導してきたアメリカの安全保障的役割を大きく見る思想が表れている。

なお、この「強いアメリカ」という国家像を期待する論は、 日本の国益は日米安保関係を前提にしているという考えに基づいていると考えられる。

 

③外的要因(朝日)
→民主主義や多様性といった価値を発信する、思想的パートナー

オバマが挫折した理由は、歴史的流れの反動だと分析する論は、朝日に見られた。

ここには、日本が「普遍的価値」と呼ぶ民主主義や多様性、法の順守などの価値観を共に発信していく国としてのアメリカを求める思想が表れている。

これは、国際社会における日本のあるべき姿を、軍事や安全保障分野以外における貢献に求める朝日的な国益観といえる。

あくまでオバマの責任を軽く見る朝日の論には不自然さを感じるかもしれない。

確かに朝日は自身の価値観に沿うものについては、やや盲目的に報じる傾向がある。(シールズの記事は少し鼻についた)

だが、それはもちろん他紙も例外ではない。

さらに、一昔前までは価値観の画一化に繋がるとされていたグローバル化が、世界中で国家主義や内向き志向をもたらしている現状を鑑みるに、朝日の論はあながち間違いではなく、むしろ考慮すべき重要な視点だろう。

 

考察まとめ(のつもりが…)

以上が、各紙のオバマ評の共通点と相違点、そしてそこに見い出せる3つのアメリカ像と国益観だ。

こうしてみると、アメリカに何を期待するのかということも、各紙が持つ日本の国家像や国益観に左右されているということがわかるだろう。

特に、日米安保体制を外交政策の基軸とする現在の日本であれば、アメリカに何を求めるかという問題は、日本の外交はどうあるべきかという議論に直結している

だから、日本は世界の中でどうあるべきか、アメリカとどういった関係を築くか、そして日本には何ができるのか、それは全て同じ問題と言っていい。

 

もちろんここで挙げた要素が全てではないし、言論の領域には多くの思想が複合的に存在している。もちろん政治や一般の人々の間にも同じことがいえる。

だが、それを整理し、それぞれの意見が前提とするものについて考えてみることは、意見と意見の距離感を測ることに役立つし、自分を正しく位置付ける助けにもなる。

この記事で言いたかったのはそういうことだ。

 

まあ、いくつも新聞読むとか正直流行らないし、一紙読んでるだけで十分エライって言われちゃう時代ではある。それでも、上に書いた考え方は、あらゆる情報に接する際に意識すべきものだ。

そして、意見を異にする人同士が分かり合うための大事な前提だったりもする。

どこの世界でも意見対立が存在するのは自然な状態だ。それをうまいこと合意や妥協に導くのが人間の力であり、民主主義、対話の力だ。

でも、それを面倒に感じる人が世界中に増えてきた。

対立を当然のものと受け止められるか、それを超えて分かり合えるか、実は僕たちもとっくの昔から試されている。

 

あとがき:「無知の知」を求めて

ところで、日本は国際的にみても稀有なほど、新聞の購読率が高いという。(実際に読んでいるかは別の話ではあるが)

そして、読売と朝日という相反する主張の新聞がツートップでシェアを占めていることも興味深い。毎日、日経、産経と意見を異にする大手紙に、ブロック紙や地方紙もそれぞれ需要を持って受け止められている。

 

この状況は僕たちに、日本という小さな国に存在する価値観の多様性を思い出させてくれる。そしてひいては、僕たちの視野の限界と、そこからこぼれ落ちたものの途方もない莫大さを想像させてくれる。

暗闇のなかで自分はどこにいるのか、それを知ろうとすることは、その暗闇がどれだけ広く続いているのか想像することでもあるのだ。

地域、性別、年齢、国籍、人種、宗教…人を切り分ける要素を挙げればキリがない。そんな全ての思想に触れて理解することはできない。

だとしても、せめて、自分から見えないところにいる人や意見の存在に寛容でありたい。

世界中の皆が「無知の知」を知ることができたとき、世界はより優しく、より純粋な驚きに満ちたものになるのだから。