如月トキヤの、世界に報いるニートの叫び

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如月トキヤの、世界に報いるニートの叫び

失うものを持たない僕の遠吠えを聞け

【映画『LA LA LAND』感想】 ~「ララランド」の意味を知っているか~

基本ネタバレ無しのレビューなので未見の方も、鑑賞済の方も。

 

映画『LA LA LAND』は、「ララランド」を舞台に、「ララランド」状態の男女が恋に落ちる「ララランド」な物語だった…

 

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アカデミー賞6部門受賞に加え、作品賞授与のトラブルでも話題の『ララランド』。

こないだ観てきて結構よかったので、感想を書く。

できる限り物語の内容には触れないように、映画未見の方にも、既に鑑賞した方にも何かを伝えられる記事にしたつもり。

 

 

 

タイトル ''la-la land'' 3つの意味

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このミュージカルシーンは圧巻。このシーンの''Another Day of Sun'' は全てを投げうっても夢に向かう決意を歌った曲。歌詞にも注目するとこの映画が描きたかったものが見えてくる(かもしれない)

 

ふざけたタイトルかと思いきや、実は意味のある言葉、「ララランド」

その言葉には3つの意味があった。

※調べたところ2つとする記述もあったが、ここでは3つとする。

 

① 我を忘れた状態、恍惚

② 現実離れした世界、おとぎの国

③ ハリウッド、ロサンゼルスのこと

 

あくまで想像だが、現実から遊離した感覚を表す①の意味が、環境を表す②の意味になり、その後アメリカンドリームの地、③ハリウッドの呼称となったのでは、と考えられる。

 

 

物語のキーワードは「夢」?

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予告トレイラーでも印象的に用いられた、2人が地面を離れて空に歩き出す、プラネタリウムのシーン。

 

ハリウッドは、「夢を叶える」場所であると同時に、「現実」離れした「夢の世界」でもある。

そんなハリウッドを舞台に、夢を追い求める男女の物語が、『LA LA LAND』。

 

そこには、「願望としての夢」「幻覚としての夢」「はかない夢物語」

そんないくつもの「夢」が詰め込まれている。

どこか「掛け言葉」的というか、単に「夢見る男女の恋愛」だけではない意味を持たせているというのが鑑賞後の感想。

 

なかでも、クライマックスに登場人物が見る「夢」はなかなか心にくるものがある。

(誤解をまねきそうなのでこれだけ言っておくと、いわゆる「夢落ち」ではない。)

 

映画『LA LA LAND』は、「ララランド」を舞台に、「ララランド」状態の男女が恋に落ちる「ララランド」な物語だった。

(↑これ最初記事のタイトルにしようとしたけど、やめといてよかったと思う笑)

 

 

『ララランド』を批判する難しさ

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そもそもミュージカル映画に何を求めるのか。

 

個人的に、非常に批判することの難しい映画だと思う、『ララランド』。

 

アカデミー受賞の事実も加わって、気軽に叩けなくなった。

底の浅い批判では、多くの人間が認める作品に難癖をつける、単なる「アンチ・権威」的な姿勢に堕すことになる。

それは、野生の自称映画通が、アカデミー会員の構成やら趣向を叩いて、「一味違う自分」を演出するのには十分だが、良い評論とは言えない。

 

ここでは、この映画を評価するうえで、個人的に重要だと感じたことを書いていく。

別に僕は映画通ではないし、ミュージカルや音楽に造詣が深いわけではないので、かなり背伸びして書いていることをご了承いただきたい。

けど、有名な映画叩いとけばいいみたいな風潮が気に食わないのでささやかにでも抵抗したかった。

 

 

(おそらく)最も簡単な映画批判の方法

自称映画通は、自身の趣向に合わない作品を批判する際に、しばしば「リアリティ」という言葉を用いる。

「〇〇なシーンで××するなんておかしいじゃないか!」、「ああいう場面では普通あんなことしない!」とか。

 

まあ実際問題、映画においては「納得感」があるかどうかは非常に重要だと思う。

「納得感」というのは引っ掛かりの無さだから、不自然さを感じず素直にストーリーについていけるかを左右する。

 

でも、自然さだけを求めたシークエンスは既視感に満ちた平凡なものになってしまう。

だから、作り手は過去の名作のエッセンスを抽出して、そこに自分の創意工夫を凝らそうとする。

(その一つの成功の形が「オマージュ」であり、一つの失敗が「パクリ」になる。)

つまり、「納得感」と「新奇性」のバランスこそが映画の作り手の最大の課題になる。

 

映画の時間的、技術的な制約を踏まえれば、そのバランスを高いレベルで達成することは非常に難しいわけで、究極的に言えばフィクションなんだから、「現実感」という言葉は気に食わない映画を叩くうえでは非常に便利な武器になる。

 

 

ミュージカル映画と「リアリティ」

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だが、ミュージカル映画にリアリティを求めるのはナンセンスだ。

そりゃそうだろ。劇中では、人との会話中や街中で突然踊り出すんだから現実感もへったくれもない。

 

そして『ララランド』は、現実と幻想の境目を(おそらく意図的に)曖昧に描いている。

(印象的だったのは、ダンスを始める前の、タップシューズに履き替えるシーン。)

これは、上で書いた物語のキーワード「夢」を踏まえたものになっているのだろうが、それ自体特に目新しいわけではない。「メタる」なんて言ったりもする。

 

そして、ミュージカル映画は、歌とダンスを見せるその構造上、複雑な物語展開にもなり得ない。

『ララランド』にしても、物語の基本構造は言ってしまえば、一つの典型的なボーイミーツガールの物語だ。

 

そもそも究極的にはあらゆる物語が類型化できるわけだから、いちいち物語に完全なオリジナリティを求めて映画を観ていたら満足感も薄れる。それは目が肥えたとは言えないだろう。

物語の原型にフェティシズムを抱くのなら、ギリシャ神話でも読んでればいい。(生粋の批評家は翻訳がどうとか言いだすんだろうけど)

 

では、ミュージカル映画は、何をもって観客の「納得感」を作り出すのか。

それは、やっぱり音楽だろう。

 突然踊り出しても、それについてこさせるだけの魅力的な音楽。

 

 

映画『ララランド』を支える音楽

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ミュージカル映画を成立させるのは良質な音楽だ。

だから、ミュージカル映画を楽しむためには、観客側にもそれを楽しむ姿勢、いわばある種の「情緒」が必要になる。(それが敬遠される要素でもあるんだろう。)

 

だが、『ララランド』の良いところは、そのストーリーが観客の音楽的な関心を高めながら展開することだ。

『ララランド』劇中には、「踊り出さないシーン」にも意味のある音楽が満ちている

もう少し具体的に説明すと、ヒロインであるミアは、ジャズピアニストであるセバスチャン に誘われてジャズの世界に足を踏み入れていく。その際、観客である僕たちもミアの視点を通して、ジャズとは何か、その魅力は何かを知らされていく。

だからこそ2つの印象的なライブシーンが成立する。

 

こうして、物語の中で自然と劇中音楽の意味性に気付かせてくれるこの映画は、ミュージカル映画入門としても相応しいのかもしれない。

 

映画の音楽に関する魅力は、自宅のテレビやPCで鑑賞しても完全には再現することのできない部分ではあるので、興味があるなら劇場で観るべきだろう。

 

サントラも売れてるらしいが納得。

アカデミー受賞した "City of Stars" も良いが、現役のシンガーであるJohn Legendが歌う "Start a Fire" を聞いてほしい。劇中ではネガティブな文脈だったが、とても格好いい曲。

ちなみに、YouTubeのABCのチャンネルには、彼が歌う主題歌 "City of Stars"と "Audition" の動画が投稿されていた。

 

 

人はいったい何を掴めば幸せになれるのか

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彼が掴んでいるのはマイク。

 

ここでは、映画『ララランド』のメッセージを自分なりに解釈・考察する

この項に関しては、ネタバレ的な要素はできる限り排するようにしたが、映画の趣旨にも関わるし、勘の良い人は結末が分かってしまうかもしれないので注意。

先入観無しに映画を楽しみたい人も同様。

 

 ↓そういう人は、頑張って書いたからこっちの記事を読んで欲しい

『シンゴジラ』感想・考察 巨大化を続けたゴジラは遂に、日本の中心に鎮座した - 如月トキヤの、世界に報いるニートの叫び

 

 

 

 

この映画を観て僕が連想したのは、ニーチェの「永劫回帰」

ありきたりな自己啓発のようにならないように気を付けるが、ニーチェと訊くだけで蕁麻疹が出る方は無理して読まなくて大丈夫。

 

「永劫回帰」とは、「人は一生を終えると、また同じ人生を始めから終わりまで繰り返す。全く同じ世界が何度めぐって来るとしても、今この瞬間を肯定できるだろうか」という思想。

ただひたすらに時間を貪るニートの僕には耳が痛いが、なかなか傾聴に値する話でもある。

 

もう一度全く同じ人生を繰り返しても良いと思うには、どれほどの幸福が必要なのか想像もつかない。

その一瞬一瞬を悔いなく生きたとしても、人生の終末でその選択全てを肯定することは難しいだろう。

だが、どんなに辛いことがあっても、「このために生きてきた」と言えるものを一つでも持てたなら、それは自分の人生全てを肯定することに繋がる。

 

「夢」とは本来そういうものなんだろうけど、ことはそこまで単純じゃない。

夢へ続くハイウェイはいつも渋滞中で、ゴールに着けるかわからない。いつかその混雑をスルーできるようになったとしても、その頃には大事な何かを失っているかもしれない。

 

本当にやりたいことを実現できる人は一握りだ。大半の人は「自分にできること」や「比較的やりたいこと」を見つけるのに精一杯だし、それでも見つけられれば十分に幸せだろう。

 

全力で夢を追う人は皆どこか「ララランド」に居る。

「無我夢中」でいるうちはいい。

でもそれが叶わず覚めたらどうなる? あるいは、叶ったとしても後悔はないのか?

もしかして自分のできる範囲で「消極的な夢」を見つけた方が幸せだったんじゃないか?

この映画はそんな重たい問いを投げかけてくる。 

 

『ララランド』は、「夢を追うこと」を美談で終わらせる、陽気で楽しげなミュージカルには止まらない。

 

人生を一瞬でも全力で生きたことのある人なら、きっと共感できる映画だと思う。