如月トキヤの、世界に報いるニートの叫び

世界に報いるニートの叫び

失うものを持たない僕の遠吠えを聞け

【映画『ひるね姫 』感想・考察】ココネが挑んだ本当の敵は何か?

夢・現実入り乱れる時間軸を整理し、キャラとメタファーを考察、物語の構造を『君の名は。』との比較で分析。

 

当然映画の内容にも触れるので、映画未見の人は、ネタバレ無しのこっちの記事をどうぞ。

これから『ひるね姫』を観る人へ - 如月トキヤの、世界に報いるニートの叫び

 

 

劇中の時間軸について

 思い出せる限りで時系列をざっくりまとめてみた。間違ってるかもしれないし、表現とかもテキトーなので悪しからず。

 

ちなみに(かっこ)は、劇中では描かれていない部分。

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うわーエンシェン、エンシャンって書いてるよ...笑

色々あまりに雑なのでいずれまたきちんとまとめるかもしれない。まあ、ざっと内容思い出すには十分でしょ。

 

登場キャラクターを考察する

ココネ

『『ひるね姫』時系列表

この「ナイーブな少女」の成長こそがこの映画の大きなテーマになっている。

いい意味では無垢だが、世間知らずで無批判的、狭い世界に生きるこどもっぽい一面を持った女の子。

劇中で、自分の知らなかった家族の過去に触れることで変わっていく。最後にはひるねで見るのとは違う「夢」を見つけた様子。

 

主題歌の「デイドリームビリーバー」もそうだけど、役に合ったいい声だったと思う。

よく、アニメ映画のメインキャストに声優じゃない芸能人が使われることを批判する人がいるけど、ワイドショーとかの宣伝効果を考えたら大作のメインどころに声優使うわけないだろっていう。これは話題作の宿命なわけで、実質話題作だからって叩いてるのと同じ。そもそも話題にならなかったら知りもしないんだから。話が逸れた。

 

モモタロー(ピーチ)

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不器用で無口な職人肌、欲がなく、口には出さないものの娘や周囲の人間からは慕われている。孤独な環境で革新的なモノづくりを達成する。あと、ケンカが強い。

これきっと神山監督が抱く理想の自分像だよね笑

たぶん岡山だから桃太郎、麻雀仲間はサルとキジだったね。

 

イクミ(エンシェン)

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魔法を使える理知的で芯のある女性。

小説版では、自動車製造において軽視されがちだった部分に目を向けた先進的なビジネスパーソンだったことが描写される。

また小説版では、彼女を襲った事故は、自動運転の試験中に通常の自動車にぶつけられて起きたということが説明される。

メッセージアプリの"Ancient-Heart" にも名前があるけど、この人の名前の由来はどっちもよくわからない。思いつく人がいたら教えてほしい。

 

モリオ 

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理屈っぽいしゃべり方をするオタクキャラは、神山監督作品『東のエデン』にも登場した。

バス停での登場場面で彼が話していた、テキストタイプのSNSは自分を矮小化してみせる傾向にあるのに対して写真ベースのSNSは自分を大きく見せる」とかそんな感じの説明は、ブログをやっている僕には割と納得感があった。

家族の部外者であるために作中ではただの便利キャラだったが、彼がもう少し活躍していれば作品の見え方もだいぶ変わったと思う。

彼の成長物語は、ココネが上京してきた時にアタックできるかというところまでお預けなのかもしれない。

 

志島一心(ハートランド王

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トップダウン式のリーダーシップを振りかざす前時代的なリーダー。劇中では、「和解の対象」であると同時に、「倒すべき敵」でもある。

作品では、彼が変わろうとしなければ、世代間の認識のギャップは埋まらないということが前提になっていた。でも、若い世代と上の世代の歩みよりで和解するみたいな落としどころはなかったのかな、とも思う。

一つの心ってなんか頑固なイメージあるよね。あと志島は鬼ヶ島からきてるのかな。

 

渡辺(ベワン)

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古典的な悪役だが、溢れ出る小物感にどこか愛嬌を感じさせる憎めない奴。

それは彼はこの映画で重要なキャラではあったけど、真の悪役ではなかったこととも関係がありそう。

本当にココネが戦ったのは、もっと目に見えない敵であり、夢のなかに現れた「鬼」の方。

ちなみにこの渡辺、小説版では元弁護士であることが明かされる。

 

メタファーを読み解く

夢で登場するメタファーの意味を考えると、『ひるね姫』はもっと面白くなる。

 

ハートランド国

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技術は発展しながらも、かえって人々は閉塞している。今の日本、あるいは世界なんだろうけど特に都市部のイメージだから、これを突き崩すのは田舎者っていう対比もあるのかも。 

 

エンジンヘッド

既存のテクノロジー

または、トップダウン的なシステムのなかで行われる意思決定。そこでは、個人の意思は圧殺され機動性は削がれることになる。

戦中の日本軍を思わせる、全体主義的な描写が目についた。「心根(こころね)」は劇中では「気合」や「根性」、「大和魂」といった通常とは異なる意味合いで使われているのかもしれない。

 

ココロネ、魔法(=タブレット)

新たなテクノロジー

または、個人の自由な発想、劇中では心の羽が「ココロネ」となっている。

グーグルとトヨタの自動運転車をめぐるごたごたから着想を得たのかもしれない。

 

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ココネが挑んだ本当の敵。

この鬼をどう見るかがこの映画の評価の分かれ目だと思う。社会問題を怪物として描くベタな手法ともいえるし、あまりに複雑化した諸問題を描くには、もはや「夢の中の怪物」とするしかなかったとも考えられる。

この鬼が意味するものを思いつく限り書いてみる。これの見方によって、『ひるね姫』のメッセージは様々な様相を見せる。

 

日本の過去、現在、未来

迫りくる東京オリンピックの重圧

世界の中で日本の存在感を示さなければ、取り戻さなければいけないという日本の近い未来へのプレッシャー。

日本国内に漂う停滞感

「2020年どうするか問題」は今の日本に何ができるのかという自問自答でもある。行き詰る日本の現在。

1964年東京オリンピックの栄光

成長の証としてのオリンピックと考えるならば、どうしても超えられない「あの時」が立ちはだかる。忘れられない過去の栄光。

 

家族や世代間の断絶

世代間の認識のギャップは、特に科学技術の分野で顕著になっている。「最近の若者」と「老害」の不理解は肥大し、世代間の断絶が生まれている。

その断絶を家族という最小単位にまで落とし込んむことが『ひるね姫』の一つのテーマだったんだろう。責任を全面的に上の世代に負わせているように見える点は気になるけど。

 

奇しくも鑑賞前にこの問題意識について別記事で書いているのでどうぞ。

朝日投書の「SNSのアカウント削除は自殺」はネット依存の問題か - 如月トキヤの、世界に報いるニートの叫び

 

新たなテクノロジーが生み出す諸問題

新技術が生まれてくると、それに伴って様々な問題が発生する。パッと思いつくのは、倫理的な問題、法・行政的問題。自動運転に限らず、人工知能やクローン技術、AR...etc 最近だとポケモンGOでもいろいろあったね。

いくらややこしい問題が出てきても、ガラスの塔にはしまっておけない。向き合わなければ怪物は大きくなっていってしまう。

 

旧態依然とした企業ガバナンス

トップダウン式の意思決定は、個人の自由な発想を圧迫し、組織の機動性を削ぐ。あるいは、自浄作用を失わせ、問題を隠蔽してしまうことさえある。もちろん日本的経営にもいい部分はあるし、一概に批判はできないが、変えるべき部分もあるんだろう。ニートだから知らね。

 

 

呪いの呪文と黒い鳥

指先一つで放てるお手軽呪い。もろツイッターを意識しているのはわかるけど、ここではテクノロジーを活用する人間の悪意の総体として扱われているように感じた。

科学技術が発達するにしたがって、人の倫理観も大きく変化した。ネットにはとにかく「敵を作って叩く」的な精神が蔓延り、それは現実の世界にも溢れ出している。本当に一人の人間を「焼き尽くし」かねない呪いは、いま僕らの片手に収まっている。

 

小説版で答え合わせ

<映画公開に先駆けて発売された小説版。情景描写が少ないので、2時間くらいでさっと読める。

小説版を読めば、全ての謎が解けるわけではないけど、いくつかの引っ掛かりに対する答えは得られる。

特に、ココネが生まれる前、モモタローとイクミがどのように出会ったのかとかが少し説明される。

 

あとは、映画では描写が少なく無口なためにわからなかった父モモタローの心情を知ることができるのは大きい。例えば、ココネの進路についての考えは、他者の視点を通じて説明される、おそらくカットされてしまったと思しきシーンがある。

他にも、モモタローは警察の取り調べの時どうしてスマホを隠し持っていられたのか、とかもわかる。

あと、モリオが通ってる大学(実在するやつ)も書いてあった。

 

一番大きいところでいうと、イクミの言葉、「一文字だけ書き換える」のところの説明があるけど、ここは正直個人的にしっくりこなかった。

映画ではただの便利キャラと化していたモリオも、小説版ではより活き活きとしている。たぶん神山監督は自分をモモタローに重ねたんだろうけど、実際の彼は完全にモリオだと思う。

 

 

無理やり『君の名は。』と比較してみる

この二つの作品を横一線に並べることにはあまりにも無理があると思う一方で、『ひるね姫』を観る人の『君の名は。』鑑賞率は90%を超えているだろうから、比較は避けられないとも思う。安易にどっちがいいとか言う話をしたくないので、とりあえずここでは、両作品の監督の作風とアプローチから考えてみる

 

これまで男女のミニマルな関係を描いてきた新海誠氏に対して、社会性を帯びた大きな物語を描いてきた神山健治氏。前者は「閉じた」物語、後者は「開かれた」物語と言ってもいいかもしれない。

そして、どちらも普段そこまでアニメを観ない一般の人々にリーチする大作映画を作るにはそぐわない部分があった。雑な言い方をすればどちらも一般ウケしない「マニア向け」の作風といえる。

 

新海氏には「大作感」や「派手さ」が、神山氏には「取っつきやすさ」成分が足りなかった。(便宜的に「足りない」という言葉を使ったが、これはもちろん大作を作って大儲けしたり、いわゆる「社会現象」を生み出すという一面的な意味なので悪しからず。)

 

そこで、『君の名は。』は、男女の恋愛関係に、入れ替わりや夢といったある種定番の不思議要素を詰め込み、やや大きめの舞台装置に押し込めることで「大作感」を出すことに成功した。(さらに「爽やかさ」も加わった。)

一方、『ひるね姫』は、上でも書いたように、田舎の女子高生と家族の物語というミニマルなテーマを土台にすることで「取っつきやすさ」を演出した。(これが観客とのミスマッチを生みそうな予感がしているのだけど…)

 

結果的に出来上がったストーリーを見ても、『君の名は。』はこれまでの「閉じた」新海作品をベースにポップ成分でかさ増しした作品になっている。だが、『ひるね姫」は、社会性を帯びた「開かれた」物語の中に、主人公がそれまで知らなかった家族の過去に触れていくという「閉じた」主題が組み込まれている印象がある。

そしてこの二重構造が、『ひるね姫』が「詰め込みすぎ」だとか「ゴチャゴチャ」といった評価を受ける要因なんじゃないかと思う

ここに僕は、現実に戻ろうとしても、ついつい夢を見てしまう神山監督の姿を見る。社会への問題提起体質は、彼にしっかり染み付いているんだろう。これこそが神山氏の持ち味なんだろうから、どんな評価を受けても頑張ってほしいと純粋に思う。

 

あと前の記事でも書いたけど、神山監督は今ウケるのは現実的でミニマルな物語だと言っていた。だけど個人的には『君の名は。』は逆にあまりにも爽やかすぎてファンタジーを感じた。どれだけ夢の世界が大きくなろうと、結果的に現実と繋がっているのは『ひるね姫』の方な気がする。

 

ひとり言

ところで最近のアニメ映画ブームには、ポストジブリとその威光を狙う勢力がぶつかり合ってる感じなのかね。今回の『ひるね姫』にしても、日テレのプロデュースだし。日テレは細田守にもツバつけてた印象だけど最近どうなんだろう。

近頃のアニメ映画っていうと、キャラ萌えする作品とポップな一般ウケする作品の二極化が進んでいる気がする。

そこでは、これまで世界観で見せるタイプだったクリエイターは、どんどんその一般ウケの方に引きずり出されてくるんだろう。キャラ萌は別にそういう人たちいらないわけだし。

友人が「石をどかされて這い出てくるダンゴムシ」と表現していたけど、もちろんネガティブな意味ではないよね。